何年か前に、韓国・テグに、李大司教さまを訪ねた写真です。李大司教さまは永井博士の尊敬者です。何百回となく長崎に巡礼し、韓国の司祭、信徒に巡礼を勧め、韓国に「如己の会」を促進している。その李大司教さまから招待状がきた。「5月6日(日)に、永井博士についての講演をお願いします」。嬉しいじゃないですか。行きたいですよ。でも4月は入院がある。健康のことだから予定は立たない。「不参加でしょう」と残念ながら返事をファックスした。李大司教さまは「永井隆の生涯」を日本語で書いた。「カトリック信徒の彼は他人を愛することを信条として生き、被爆以後はひたすら世界の平和を訴え、人類愛の実践を目指した人でありました」「永井博士、この人を知って以来、私は韓国の人々にこの人物を紹介したいと願ってきました」。ああ、残念、韓国へ行きたいよう。長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年4月7日土曜日
残念、韓国へ行けない。永井先生、語れない
何年か前に、韓国・テグに、李大司教さまを訪ねた写真です。李大司教さまは永井博士の尊敬者です。何百回となく長崎に巡礼し、韓国の司祭、信徒に巡礼を勧め、韓国に「如己の会」を促進している。その李大司教さまから招待状がきた。「5月6日(日)に、永井博士についての講演をお願いします」。嬉しいじゃないですか。行きたいですよ。でも4月は入院がある。健康のことだから予定は立たない。「不参加でしょう」と残念ながら返事をファックスした。李大司教さまは「永井隆の生涯」を日本語で書いた。「カトリック信徒の彼は他人を愛することを信条として生き、被爆以後はひたすら世界の平和を訴え、人類愛の実践を目指した人でありました」「永井博士、この人を知って以来、私は韓国の人々にこの人物を紹介したいと願ってきました」。ああ、残念、韓国へ行きたいよう。2012年4月6日金曜日
大山教会の庭にマリアさま。サクラ満開だよ
2012年4月5日木曜日
まだ大きな課題が残っている。心配はしない
前もって覚悟を決めるということです。まだ腎臓に結石が残っています。どうして石ができたのか、理由はわからない。バイパスが入っているので、いずれ取らなくてはいけないし、石も砕石しなければならない。1つの大きな課題がまだ有るわけです。今日は聖木曜日(ミサの制定)、明日は聖金曜日(十字架の犠牲)、次の日は聖土曜日(復活徹夜祭)、そして復活祭。明けた月曜日に入院します。この日に入院を決めたのはお医者さん。摂理か、偶然か。快癒を期待している。この山1つ越えれば、必ず元気になります。軽の運転もできます。それまで自粛している。これまで綺麗だった尿が、4月に入って若干、濁ってきた。気にはしていないが、順調よく行っていると思う。皆さんにはお祈りの援助をお願いします。
2012年4月4日水曜日
生きている、本当に幸せ。心を開いて祈りたい
今朝、祈りのとき、思いました。子どもの頃から、今まで、「誰から」「どんな教えを受けたか」。ふと浮かんだのが、小学校のとき、戦時中、先生が教えた。「普通の石も、磨けば輝く・タカラの石になる」。それ本当と思います。ミロハナ神父は「病気はお恵みです」と教えた。「ウソ、そんな事、あるもんか」と20代の私は反発した。あれから60年。いま私は存在している。と言うことは、すべては良いように導かれてきた。だから今が有る。では災難をどう解釈するか、の問題が湧く。災難、沢山、あったな。それでも今がある。「災難」に、「導き」が勝ったのかも知れぬ。自分の努力は何もない。それは、この歳になって、認めます。最後まで、良いように導かれるよう祈りました。そのためには自我を捨てなければ、ダメかな。2012年4月3日火曜日
北海道は留萌から、神父がバス運転で毎年来る
2012年4月2日月曜日
待ちに待った春だよ。冬眠から目を覚ませ
「あッ、割っちゃったよ」。手元が狂ったのか、キュウスのフタをパチン。ひとりで食事を早めに食べていた。食べた後、洗おうとして、この始末。カゼ引きで、アタマ、ふらふら。手もフラフラ。付いていないときは、手も滑ってしまう。炊事担当の修道士さんに、「すみません。ごめんなさい」と、あやまった。スッキリしないね。でも、怠けておれない。今朝、9時、聖コルベ館の扉を久しぶりに開けた。3日間、休んでいた。今度のカゼには、さすがにマイッタ。寒気が胸の奥まで入って炎症をおこし、気管支炎か、肺炎初期を引き起こした。「キツーイ、セキが出て、弱ったよ」。声が出ないから、恥ずかしくて、会話もできない。何んにも言わずに、休んでいた。ニンゲンの弱さだけを感じる日々だった。高齢者はカゼに注意しないとダメですね。2012年4月1日日曜日
この時期になると、病床に取り付かれる
終戦直後、聖母の騎士・小神に入ったとき、毎朝、夕べにも、このマリア像の前で祈って、大浦の東陵中学に通った。まだ軍国主義が残っており、背嚢せおって、ゲートル巻いて、10数人の小神生は行進して通学した。ぐれた学生を「ごろつき」と言ったが、彼らは道端にたむろして、学生が来ると、殴りかかってイジメた。ところが小神生が来ると、「おい、道ば、あけろ」と指示して、安泰に通してくれた。彼らは小神生たちを尊敬していた。このマリアさまを見ると、いつも、あの頃を思い出す。
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