2012年3月31日土曜日

見事な鯛のサシミで、ゲンキを出しなさい

「スゲー、大きな鯛だよ」と、食堂で誰もが感嘆の声をあげる。釣り上げた修道士いわく、「2Kgある。長さは50cm」。まこと、おいしい鯛のサシミでした。修道院に居ると、時々、こんなサカナが食べられる。ありがたい。これを食べて、カゼ気味を吹き飛ばすか、と思ったが、あまり食欲がないのです。惜しいですね。「精神は逸(はや)れども、肉体は弱し」。本当に、平常の感覚と、微熱・カゼの感覚では、カラダ全体で、何か違うんですね。それでも私は思いました。「まあ、私には、ワタシの人生がある。病気しても、カゼ引いても、退屈しないジンセイです」

2012年3月30日金曜日

とうとう、カゼで寝る。キツイ

周りで、ゴホン、ゴホン。身近な人も、ゴホン。ヤバイなあ、近づいてくるぞ、と警戒はしていたものの、とうとう声が出ない。微熱が夜、出てくる。残念ながら、今年、冬の最後のカゼ引きか、カゼで、ダウン。タクシーで、浦上の行き付けのクリニックへ。早めの処置をお願いする。胸のレントゲン。ノドの吸入。カゼの注射を肩に打つ。点滴を受ける。薬の処方箋を書いてもらう。十分の治療をうけてタクシーで帰った。もう軽の運転はしない。後は自室にこもり、忍耐して、安静にして、ガマンするしかない。若いときはカゼなんか平気だったのに、情けないとも思う。

2012年3月29日木曜日

コルベの愛の心、フランシスコの平和の心、魅了

新しい2人の修練者。毎日、午前中は授業で、午後は祈り、実習、作業があります。水曜日の午後は聖コルベ館の作業の時間で、働いてくれます。整理や清掃、今はホール後ろの部屋を片付けています。ここには映写機や、カラオケ機、映画フィルム、日本26聖人の活動写真(無声映画)も保管されている。旅行カバンなどは処分しました。2人とも体格がいいので、作業が良くはかどります。ありがたいですね。1年間ありますからね。ボチボチ、資料室なども片付けてもらう計画です。コルベ神父の資料を大切にすると共に、聖人の霊的遺産を守るのも務めです。この2人の修練者が神の召命に従って、自分の生涯を奉献することができるように、皆さんのお祈りをお願いします。召命は神さまのことです。常識は通用しません。祈りの応援がなければ実現しません。コルベの愛の心、フランシスコの平和の心は、私たちの生き方を魅了します。

2012年3月28日水曜日

予約の診察へ。帰りに、散髪。気持ちに、ゆとり

朝から泌尿器科へ出かける。気持ちは重い。「来月、入院して、砕石の治療をしましょう」とお医者さん(写真)。いよいよ取り掛かるか。まだ腎臓に結石が残っている。CTでは石の存在がはっきりわかる。しかし、レントゲンには写らない。それで、病院にある「体外衝撃波粉砕装置」は使えない、とお医者さんはいう。特別の器械、レーザー砕石器を、尿道・尿管からカメラと共に挿入して、粉砕を行なうそうだ。ところが、この器械は九州に1つしかない。「申し込みの予約」が必要でる。4月に使える可能性がでてきた。
4月9日、入院の予定。10日に実施となった。「痛いですか?」「あなたは腰椎に麻酔が入らないので、全身麻酔となります」。私の背中はカリエスのため、骨がくっついて、隙間がない。どのようになるか。私には、なんだか予感がする。今度、入院して、腎臓の石を砕けば、ゲンキになるだろう、と。いま、ボウコウの方が調子が良いからだ。ガンといわれて4年目を迎える。
病院を出るときは、明るい気持ちになった。「よし、帰りに、いつもの理髪店へ寄ろう」。散髪し、アタマを抜群の手さばきで洗ってくれる。さわやかな気分になった。カガミを見て、ニコッと笑ってみた。結構カワイイじゃないか。フ、フ、フ、サクラも咲いたぞ。歳に負けるな、フラフラするな。しっかり歩くんだ。

2012年3月27日火曜日

カゼに気をつけよう、だが、ああ、ヤッパリ

春になって、生活空間に、人が増えると、イライラ度も増してくる。接触率が多くなる。言葉の矢も飛んでくる。まわりで、ゴホン、ゴホンとセキの音がしていたが、段々と近づいてきて、とうとう私も2日前から声の調子が出にくくなった。長崎は3日遅れてサクラが開花宣言。でも、未だ寒さが残る。老人は寒さに一番敏感だ。若い頃、胸を病んでいるので、寒くなると、ノドが腫れて、すぐ胸の奥に炎症がおこる。声が出ない。今朝は書簡を朗読するのに苦労した。生きていくのも、タイヘンだな。最近は見学客も多くなった。ごめんなさい。ゆっくり休ませてください。

2012年3月26日月曜日

女子高校生たちの笑顔で、若くなる。平和と愛

「17歳で、修道士の道に入って、いま84歳だよ」と最初に言うと、「え、え?」と驚きが起こる。修学旅行の女子高校生たちが、このところ毎日、兵庫、鎌倉、横浜から来た。30分ほど、まとまった話をしているが、何を伝えるべきか。もし私が17歳に戻って、今から人生を始めるなら、どういう生き方を望むだろうか。才能を伸ばすことか、自己満足か。振り返ってみると、ムダが多すぎた。抽象的だが、やはり人生に最も大切なのは「愛とイノチ」だろう。イノチの危険は沢山みてきた。愛が難しい。自己愛もあれば、愛欲もある。家族愛には飢えていた。愛を追いつづける。「愛の狩人」と作家・遠藤さんは私に言ったが、そう思う。愛の根源、イノチの根源を知らずして、この世は渡れない。「死んだ、あの人。私が生きている限り、その人は私の心の中にいる。その人の人生も大切だったのです」

2012年3月25日日曜日

人生、悩み多し。自分が生きる意味、何か?

1人の男性が聖コルベ館へ入ってきた。彼を見た瞬間、思わず「オー」と歓声をあげ、彼の手をつかんで思い切り揺さぶった。「どーうしていたの?心配していたぞ」。彼は五島の出身。県外で長年働いて、心身疲れて、失望し、島の断崖絶壁へ向かっていた。途中、美しいマリア像を見つけて、気持ちが「ストップ」する。新しい職場を見つけて、長崎でタクシーの乗務員をしていた。正月、ルルド参りに来たところで、私に出会った。その後、1年間、聖書を学んで洗礼を受けた男性だった。「あれから来ない。もう4年になるかなあ」。歳は60半ば。独りで、年金暮らし。生活はシンプルで、テレビなし。冷蔵庫なし。電気レンジなし。車だけ、あるという。読書が好き。いろんな人間の生き方がある。「修道士以上じゃないか。付いて行けないよ」。その彼が悩みを打ち明ける。「自分は何のために生まれてきたのか、意味がわからない」。これはどういうことなのか。人間、誰しも悩みが多い。基本的に、自分はこの道を生きて良かったのかと悩む者。生きる意味に悩む者。悩みはどこから来るのか。「人のために尽くすこと、ないの?喜びを感じないの?」。「うれしさは有るが、実感が湧かない」。自分に凝り固まっているから悩むのか。「4月8日が今年は復活祭。教会に来なさい」と勧めた。彼は笑いながら、クルマの番号を指して、「ハローだよ」。ナンバーは、8と6だった。