2012年2月29日水曜日

2月は色々ありました。でも、ハイ、この通り

今年は、ウル年で、29日まであります。2月は色々ありました。それでもゲンキに月末を迎えることが出きた。明日は誕生日で、いい日だよ。84歳になります。腎臓、1つ。大事にしよう。寒さに気をつける。カゼを引かない。暖かい所に居る。ムリするな。ストレス溜めるな。腎臓に負担を与える食事に気をつけよう。こんなこと書くと、ジンセイ、楽しくないな。
人生には、さまざまな困難があります。小さな舟が荒波にもまれて、沈みながら嵐の中を行くようなことです。私の場合は、尿が、水が、全く出なかったから、砂漠(サバク)をさまよう、迷うような出来事だった。しかし人生、大きな壁が立ちふさがれようとも、巨岩があろうとも、助ける人が必ず居るんですね。うまーク、すり抜けて、オアシスを見つけることが出来た。だから、今が、有るわけです。道に迷った旅人が、森の中に、1軒のアカリを見つけた時の喜びは、どんな大きな賜物でしょうか。毎日、毎日、ご聖体を受けた。だが、あの病室でのご聖体は、大きな賜物になる。感謝をしましたか、今朝は、それを反省した次第です。

2012年2月28日火曜日

入院・余談。いかにして日記を書いたか?

入院中に、毎日、日記を読んでくださって、ありがとう。どうのようにして日記が書けたのか、タネ明かしをしましょう。病室は、ケイタイは使用・禁止です。パソコンは使用・不可能です。病室から幾つかの隣の病室の、その次に、『談話室』があって、そこに電話が(写真の通り)あるのです。一応、内容を考えて、この電話室で、毎朝、電話をかけました。通話の相手さんは、聖コルベ館の、同じ町内の、同じ丁目にお住まいの、親友の奥さんです。「ああ、モシモシ、おはようございます。頼みますね」。それで、ペラペラ、しゃべるわけです。奥さんにはホントウにお世話になりました。(退院後、少々、加筆しました。ごめんなさい)。奥さんも張り切って、協力してくださった。写真は退院後、挿入しました。電話で報告するなんて、海外の通信記者並だったよ。★報告しなかった話が1つある。尿が出ない、苦しんでいた、ある晩、夢の中で、黒塗りの、大型の、後ろに開き戸があるクルマが、バックで近づいて来るんだな。手前に大きな窓枠があって、私が、その窓枠の手前に立ったトタンに、黒塗りのクルマは、「パッと」消えて、無くなった。なんか、ヘンな夢だったよ。

2012年2月27日月曜日

12日目。退院しました。お祈りありがとう

昨夕、見舞い客が、退院祝いか、誕生祝いか、かわいいケーキを持ってきた。「ナマもので、今日じゅうに食べてください」と説明にある。「困ったなあ、1人じゃ食べきれないよ。どうしよう」と迷っていると、来たよ、来たよ、前に、「いそがしかモン」と言った女性が居たでしょう。洗濯もしてくれた好意もあった。その女性がやって来たのです。「おお、来たか」と、私は喜び。
この女性も忙しい。昨日は日曜だったから、長崎から100kmほど離れた隣の県で、〇〇大行進というのがあった。2千5百人ほど集まって、盛り上がったそうだ。それに参加して、いま、帰った。「おお、それは、ちょうど良かったな」。そこで、2人で、退院前祝いに、このケーキを食べた。「私は少しで、いい。後は、あなたが食べなさい」。オナカの減っている女性は「パク、、パク」食べた。甘さ、控えめの、おいしいケーキだった。
入院生活12日。最初は暗い気持ちだったが、退院の朝になると爽快。神さまのお恵みで、イノチをつないだ。そして毎日、日記を見て、心配して見守ってくれた皆さん、お祈りはありがとう。午前中に、赤尾院長さん運転のワゴン車で、聖コルベ館へ戻った。昼食は、皆さんと一緒だった。「以前より、ゲンキになったぞ」。コルベ神父の遺産と、精神をつないで行こう。「オマエが働くのでなく、主が(オマエを通して)働かれる。忘れるな」

2012年2月26日日曜日

入院11日目。お恵みがイノチの糸をつないだ

「今度ばかりは、参ったね。大変だった。危うく、死ぬところだった」と説明しても、皆んなは信用しない。「なーに、トマのことだから、4・5日したら帰ってくるだろう」。1月に入院したときは、尿が出なかったが、これは腎臓の中の石が尿管に詰まっての原因だった。だからバイパスを作って、尿が大量に出て、解決した。ところが、この度は、原因が分からない。午前中は正常に出ていたのに、夜になって、全く尿が出ない。こういう事って、有るだろうか。悩むのは当然です。でも、幸いに、お恵みが、いのちの糸をつなぎました。
考えてみると、私の生涯のテーマは、「生と死」だった。原爆にあっているし、危険な病気もたびたびしているから、マトモに言える。そして、その裏側と言うか、それは「愛といのち」だった。コルベ神父の愛と、イノチも知ったから。いわば、この2つをつなぐのが、私の人生だった。
明日、退院します。聖コルベ館に帰ります。オマエが居なくても、世界は立派に回っている。誰も困りはしない。オマエの存在価値は、どこに有る?それはオマエ自身の、他の人には追従許さぬ独特の人格にある、と私は思う。人間の生きる意味もそこにあるのではないか。
ナガサキの、生まれながらのカトリックです。これからも、古いと言われる信心生活を守って生きて行きます。私は、いつもホンネで語りたいのです。生きる力をもらいましたか。生きる勇気が湧きましたか。沢山のことを知らなくても、ひとつの小さな生きがいがあれば、ニンゲンは立派に生きていけるのです。苦しみの生涯を、愛の人生に変えようではないか。希望をもって、これからも生きていこう。

2012年2月25日土曜日

いのちをつなぐ恵み。皆さん、祈りありがとう

写真は、病院の1階、待合室にあるマリアさまと、おひなさまです。ちょうど、ひな人形を飾るときに入院したんですね。でもゲンキになって、良かった。昨夜、主治医の先生が病室に来られる。「今日で、点滴の治療は終わりました。昨日の血液検査で、腎機能・クレアチニンも『1.1』に快ふくしていました。平常になった。あとは外来診療で診て行きましょう。退院しても良いですよ」と言われるじゃないですか。 私は思わず喜びの顔、笑みですよ。何より嬉しかったのは、腎機能の回復です。「えっ?ホントウですか?嬉しいなあ、よかったなあ」。お医者さんは私の左の脇腹を手で優しく撫でた。さあ、いつ退院しようか。私はちょっと、間をおいて、「土曜、日曜と、少しゆっくりさせてもらって、いいでしょうか。月曜日の午前中に退院してよろしいでしょうか」「良いでしよう」とお医者さんは笑顔を残して去った。私は感謝のロザリオを捧げた。
思えば、聖コルベ館を出る時、「もう、我が腎臓も、アウトか」と、ほとんど絶望的だった。おそらく聖コルベ館には戻らんだろう。悲壮感があった。それが、また、いのちをつなぐ恵みが与えられた。沢山の人たちが見守り祈って下さったお陰です。胸が熱くなるのを覚えます。「ああ、あのとき、生きるか、死ぬかのとき、おひなさんを飾っていた頃だったなあ、忘れないだろうよ」。腎機能も、正常になった。これはホントウにお恵みですよ。祈りの効果ですよ。急に元気が出てきたぞ。とにかく今日は、ただ、ただ、嬉しい。登明日記を読んで、祈ってくださった皆さん、ありがとう。

2012年2月24日金曜日

病人が困ること。洗濯物が泣いている

写真は病院の廊下にある「おきもの」です。ところで入院生活で困ることがある。それは肌着の洗濯です。傍にいて、洗濯をする人が居ないと大変困ります。病状によっては、寝汗をかいたり、下着が汚れたりします。着替えの肌着には限度があるため、汚れるものが増えると困るのです。どうしても「助けてくれる人」が必要です。
今朝も、洗濯の肌着が七枚もたまりました。「さあ、どうしようかな」と悩んでおりました。すると、神さまは、ちゃんと準備してくださるんですね。先日、見舞いに来て、「いそがしか、モン」と言った女性が居たでしょう。その女性が現れたのです。女性のキゲンがよっぽど良かったのか、「洗濯、してあげようか」と言うじゃありませんか。「ありがたいことです。頼みますよ」。内心、シメシメ。洗濯場は病院の屋上にある。洗濯をして、乾燥機を回して仕上げるまで、2時間は掛るでしょう。時間と労力を要するので、それだけ束縛するから気の毒なのは確かです。しかし、女性は心優しく、新しくなった肌着を渡してくれたあげく、帰りしなに、こう言った。「ロザリオ3本、唱えたケンね。先生(私のこと)のためにも・・」。それ聞いて、サースガ、長崎の信者じゃ、だね。

2012年2月23日木曜日

今日の1日も、私のジンセイだ

「どうですか?お元気、なりましたか」と、1日、1度は必ず病室を覗いてくれるシスターがいる。「あたたかい、ほんのりとした、あかりが、私の心を明るくする」。入院当日から、毎日、姿を見せるようになった。当病院の事務室で働く韓国人のシスターだ。ふっくらとした顔、ニコッと、優しく、微笑む。その愛情表現に「トローン」となるよ。日本人とはまた違ったフンイキで、なぐさめてくれる。日本という土地柄、慣れないことも、あろう。シスターになって日は浅いそうだが、信仰は燃えている。私は、ズバリ聞いてみた。「あなたにとって一番大切なことは何ですか」。シスターは、ためらわずに答えた。「神様と向き合うこと、愛といのち、です」。なるほどね、確かに「ズバリ」核心を突いている。「イライラや、心配、思いわずらい、いろんな事があっても、神様と向き合います。神様だけが、救われる」。信仰の出会いは、いいですね。今日も生きて行く力をもらいました。ありがとう。「聖コルベ館には居ないけど、今日の1日も、私の人生だ」